Shikoku Kakoki Story 四国化工機50年史 Shikoku Kakoki Story 四国化工機50年史

1961年~ 創立時は、タンクメーカーとしてのスタートだった 1961年~ 創立時は、タンクメーカーとしてのスタートだった

Episode1

創業者の植田道雄(当時30歳)は、徳島県板野郡北島町鯛浜に、資本金1,300万円で四国化工機㈱を設立。化学工業・食品産業向けのステンレスタンク等を中心としたタンク装置のメーカーとしてスタートした。創立当時は、乳業機械メーカーである植田酪農機工業㈱の下請けを主にしていたが、当時ホーローからステンレスタンクに変わりつつあった酒造業界に目をつけ、創立から2年余りの1964年、酒は冬場に仕込むものという酒造業界の常識を破り年間を通して酒を作ることが可能な「ステンレス製四季醸造プラント」を開発した。

(現在でも基本的な作り方は継承され使用されている。自社ブランドとして初めて企画開発した製品となる。)

機械メーカーへの転進 機械メーカーへの転進

1965年ごろ、大手乳酸菌飲料メーカーで飲料の容器をガラスびんからプラスチック容器のワンウェイ化に変える方針が決まり開発コンペが開かれることになった。これが四国化工機が機械メーカーとしてスタートする大きな転機となる。タンク装置より付加価値の高い自動機への参入を考えていた当時の四国化工機にとって、ワンウェイ化の開発コンペは千載一遇のチャンスであった。しかしながら、当時、同メーカーの原液培養タンクのほとんどを手掛けさせて頂いていたとはいえ、タンクメーカーであった当社が、日本を代表する大手機械メーカー相手にコンペに参加することは非常に難しかった。
今では笑い話ではあるが、どうしてもコンペに参加させて貰いたいがために、同メーカーの全国の幹部による大会議に飛び込み直接お願いするなどの無茶をし、参加させていただくことができた。大企業と違い、コンペで当社が採用にならなければ会社の未来もわからない状況であった。命懸けといっても過言ではない熱意をもって開発にあたり、何段階もの検証・試作テストを経て、1967年に最終的に勝利を得て採用となったのは当社であった。
翌年の1968年、更なる改良を経て、プラスチックとアルミキャップの高速溶着を可能とした日本発の「プラスチックボトル充填シールライン」を開発し納入した。(現在では同メーカーの国内外すべての工場に納めさせて頂いている)

創立当初 1961 創立当初 1961

1961年
(昭和36年)
  • 5月  徳島県板野郡北島町鯛浜に、資本金1,300万円で四国化工機㈱を設立する
  • 11月  本社および工場を徳島県鳴門市大津町矢倉に建設し、移転する
1963年
(昭和38年)
  • 1月  乳酸菌飲料用の原液培養タンクを設計・製造し、大手乳酸菌飲料メーカーの全国各地の工場へ順次納入開始する
1964年
(昭和39年)
  • 1月  日本初の日本酒用ステンレス製四季醸造プラントを開発する
1968年
(昭和43年)
  • 4月  日本初のプラスチックボトル充填シールライン(SFH-120:高周波シール方式)を開発する
  • 7月  「四国鋼材㈱」を徳島市万代町に設立する
    (化工機サービス株式会社を経て現在の四国産業株式会社)
1970年
(昭和45年)
  • 6月  ドイツの充填機メーカーと技術提携する。後のカップ充填機の基礎となる

1971年~ 立ちはだかった壁 1971年~ 立ちはだかった壁

Episode2

1971年、創立10周年の節目に、機械事業の更なる飛躍を目指し、現在地である徳島県板野郡北島町に新本社工場を建設し移転した。
乳酸菌飲料の容器をガラス瓶からプラスチックボトル製のワンウェイ化が成功したことで、当時ガラスびんだった牛乳もプラスチック容器化の流れになると予測し、より技術を発展させるべくドイツの充填機メーカーの技術を導入した。大手乳業会社からの仮発注を得て「さあこれから!」という時に、行政の政策(プラスチックの廃棄物公害)によって牛乳のプラスチック容器化が認められず頓挫することになった。それからが苦難の始まりで、ドイツから導入した技術費用だけが大きく重くのし掛かり、新工場は作ったものの仕事が続かず、まさに自転車操業の苦しい時代が続いた。

1972年、そのような背景のなか、ワンウェイ化で成功したプラスチックとアルミキャップの高速溶着シールの技術力が認められ、現在の包装資材事業の端緒となる大手乳酸菌飲料メーカー向けアルミ箔の販売商権を得ることができた。その後、自ら開発した「カット式絹ごし豆腐自動製造機」による豆腐の生産も手掛け、販売会社として現在のさとの雪食品㈱を1973年に設立した。機械事業は受注生産であることから経営の安定を目指し食品事業へと進出したが、これもしばらく苦労が続くこととなった。今振り返ってみても、最大の危機といえる苦しい時代ではあったが、機械・包装資材・食品の三事業がスタートした時代でもある。

カット式絹ごし豆腐自動製造機

世界を見据えた挑戦 世界を見据えた挑戦

その後、なんとか仕事量を確保するために様々な食品機械に挑戦。ドイツから導入したプラスチック容器への充填技術を応用し、大手即席麺メーカー向けにインスタントラーメンの充填ができる日本初の「カップ麺充填シール機」を開発。また、後の主力機となるプリンやヨーグルトを詰める「カップ充填機」もこの時代に開発した。これらの新しい開発でなんとか操業していたが、それだけではなかなか仕事量は続かず、常に不安のなかで経営を続けていた。
一方、市場では牛乳のプラスチック容器化が認められなかったことで屋根型の紙容器へと大きく移行しつつあったが、当時、屋根型紙容器の成形充填機は海外の2メーカーが独占していた。国内のお客様は設備を導入したくとも1年以上順番を待つしかなく、またサービス面でも海外メーカーであることから不満を抱えており、国内メーカーへの国産機開発の期待は大きかった。
こういった背景から、四国化工機は、初の国産機開発に挑戦。1977年、国内市場だけでなく世界へ売れる機械を見据えて取り組み、現在の主力機である「屋根型紙容器成形充填機」を完成させた。国内市場だけでなく海外からの支持も得て、新たな市場開拓につながった。

(現在では、屋根型紙容器成形充填機の日本国内シェアは約70%までに成長。世界でも50か国以上への輸出実績を有する。現在でも四国化工機の機械事業における柱は紙容器成形充填機であり、この時代に開発された数々の機械が後の四国化工機の基礎となっている)

日清食品向けカップ麺充填シール機

カップ充填機

屋根型紙容器成形液体充填機

立ちはだかった壁 1971 立ちはだかった壁 1971

1971年
(昭和46年)
  • 4月  新本社および工場を徳島県板野郡北島町太郎八須に建設し、移転する
1972年
(昭和47年)
  • 6月  プラスチックボトルとアルミ箔の高速溶着シールにおけるシステム技術の開発が認められ、大手乳酸菌飲料メーカー向けにアルミ箔を販売する
    アルミ箔の販売商権を得たことが包装資材事業の端緒となる
  • 7月  中外貿易㈱様(現:CBC㈱様)と業務提携する
  • 11月  カット式絹ごし豆腐自動製造機(TM-30)を開発する
1973年
(昭和48年)
  • 4月  日本初のカップ麺充填シール機(HN-82)を開発する
    インスタントカップ麺の自動充填が可能となり、日本の即席麺業界の発展に寄与した
  • 6月  鳴門の工場に食品部を設置する
    8月より豆腐および油揚げ類の生産を開始し、食品事業に進出する
  • 8月  鳴門市大津町に、食品事業の販売会社として「さとの雪徳島販売㈱」を設立する
    (現:さとの雪食品㈱)
1975年
(昭和50年)
  • 7月  ヨーグルト用カップ充填機(HL-10)を開発する
1977年
(昭和52年)
  • 8月  屋根型紙容器成形液体充填機(UP-25)を開発する

1981年~ 三事業の飛躍 1981年~ 三事業の飛躍

Episode3

「屋根型紙容器成形充填機」に挑戦してから4年後、品質と実績が認められ、国内大手製紙メーカーの十條製紙㈱様(現:日本製紙㈱様)と日本国内の総代理店契約を結んだ。また、ノルウェー大手製紙メーカーのエロパック社様とも販売で提携し、本格的に輸出を開始する。提携により年間を通した仕事量の安定化につながり、両社とは現在も強いパートナーシップで契約が続いている。
苦戦していた食品事業は、1982年、当時は不可能とされていた機械による <にがり充填豆腐> の量産化に業界で初めて成功。冷却豆乳を使うという発想と機械事業の技術により、職人の経験が必要とされていた“にがり100%”による凝固速度の調整を機械で可能にした。日配主力商品となり、四国・関西・九州へと西日本向けに市場を拡大。さとの雪食品の大きな飛躍につながり、食品事業の基礎づくりができた。
その後、包装資材事業も営業部門である包装資材課を新たに設置。既存のアルミ箔の販売と合わせて、乳業界向けのプラスチック製デザート容器の自主開発および委託製造販売を開始した。本格的に包装資材部門が発足したことで、三事業部門が出揃い、相乗効果を目指す「システム経営」を確立させた。

業界革新となる開発 業界革新となる開発

1989年、充填豆腐に続き、日本で初めて賞味期間10日を可能にした木綿豆腐の自動製造機を開発。新たに開設した阿南食品工場で“にがり100%”の<木綿とうふ>の生産を開始し、さとの雪食品の第二の大きな飛躍につながった。

当時、充填豆腐や絹ごし豆腐と違い、木綿豆腐は一度できた豆腐を崩してから固めてカットする工程があり、人手を介さずに作るのは難しいといわれていた。賞味期間延長を可能にした四国化工機の「木綿豆腐自動製造機」は、豆腐業界の革新となった。

三事業の飛躍 1981 三事業の飛躍 1981

1981年
(昭和56年)
  • 10月  十條製紙㈱様(現:日本製紙㈱様)と紙容器等成形充填機の総代理店契約(日本国内)を締結する
    ノルウェーのエロパック社様と総販売店契約(ヨーロッパ・中東・北アフリカ地域)を締結する
1982年
(昭和57年)
  • 3月  植田酪農機工業㈱ に資本参加し、業務提携する
  • 4月  冷却豆乳による消泡剤無添加の<にがり100%充填豆腐>を開発する
1983年
(昭和58年)
  • 7月  世界初の屋根型紙容器成形無菌充填機(UP-SL50)を開発する
1984年
(昭和59年)
  • 1月  日本初のカップ用無菌充填機(ULA-100、 ULA-120)を開発する
  • 3月  東京・大阪事務所に包装資材部門を設置し、包装資材の開発・販売を開始する
1985年
(昭和60年)
  • 7月  ロールフェッド紙容器成形無菌充填機(UP-FUJI-MA60)が完成し、東京池袋サンシャインビルにてプライベート展示会を開催する
1988年
(昭和63年)
  • 12月  阿南食品工場を徳島県阿南市山口町に開設する
1989年
(平成元年)
  • 3月  日本初の木綿豆腐自動製造機(MT-30E)を開発し、阿南食品工場にて<木綿とうふ>の生産を開始する
  • 4月  海外向けの屋根型紙容器成形無菌充填機(U-S80A)をノルウェーの販売代理店エロパック社様と共同開発する
  • 9月  無菌充填豆腐自動製造機(JTF-60)を開発し、鳴門食品工場にて紙容器入り豆腐<箱とうふ>の生産を開始する

1991年~ 三事業のノウハウを活かし受託生産を手掛ける 1991年~ 三事業のノウハウを活かし受託生産を手掛ける

Episode4

1992年、阿南食品工場に自社で開発したロールフェッド紙容器成形無菌充填機を設置し、飲料の受託生産を開始した。食品事業における「豆腐・飲料」の生産を通じて、絶えず自社機の実証や包装資材の適合性を検証し、また、生産経験から得たノウハウを、機械や包装資材の製造・開発にフィードバックすることで、三事業を有機的に結合させ相乗効果を生み出している。

グループ初の海外生産拠点 グループ初の海外生産拠点

1995年、中国上海市に上海四国食品包装机械有限公司を設立。当時、急激な円高を受けて、為替への対応、部品の供給基地、将来に向けたアジア諸国への展開を目指し、中国での生産体制を整えた。この設立は、包装機械業界では先駆けとなった。

食品事業、関東市場へ本格進出 食品事業、関東市場へ本格進出

1998年、食品事業は主に西日本においてシェアを拡大していたが、さらなるシェア獲得を目指し、関東市場をタ-ゲットとして静岡県御殿場に御殿場食品工場を新設した。当工場は、自社製の豆腐自動製造機を用い、木綿豆腐・絹ごし豆腐・充填豆腐および、紙パック入り無菌充填豆腐などを生産し、衛生面・品質管理面・作業環境などHACCPに対応した、日本を代表する乳業レベルの豆腐工場として建設。「さとの雪」のナショナルブランド化という豆腐業界初の目標実現に向かって大きな一歩となると共に、モデル工場として業界近代化という、もう一つの大きな役割を果たす。

システム経営の成功例 システム経営の成功例

2000年、オリジナル包装資材<アクティブカップ>を開発し意匠権を取得。
食品事業を通じて取引のあった大手流通へ容器を提案。ユニークな容器形態に興味を持った同社が、乳飲料メーカー2社を加えたチームマーチャンダイズ方式で商品化を図り、同社グループの大手コンビニエンスストア全店で販売展開をした。四国化工機は包装資材事業を通じて容器の販売を行い、乳飲料メーカー2社に同容器の専用充填機を機械事業を通じて納入することができた。機械・包装資材・食品、3つの事業による「システム経営」(= 三事業が相互に補完し相乗効果を発揮することで成長を目指す複合経営)の成功例となる。

三事業のノウハウ 1991 三事業のノウハウ 1991

1992年
(平成4年)
  • 1月  アメリカの世界最大の製紙メーカーとロールフェッド紙容器成形無菌充填機(UP-FUJI-LA・ UP-FUJI-MA)の総販売店契約(日本を除く世界)を締結する
  • 4月  代表取締役社長 植田道雄(現:創業者 名誉会長)が黄綬褒章を受章する
  • 6月  絹ごし豆腐自動製造機(KT-40E)を開発し、阿南食品工場にて自動製造機による<絹ごしとうふ>生産を開始する
  • 10月  阿南食品工場でヤクルト商品(豆乳飲料)の受託生産を開始する
1993年
(平成5年)
  • 1月  無農薬有機栽培大豆を使用した充填豆腐<大豆王>を発売する
    カップ充填機(HF-06)を開発する
1995年
(平成7年)
  • 7月  口栓付き酒用大型紙容器成形充填機(SP-80J)を国内大手印刷会社の凸版印刷㈱様と開発する
  • 11月  上海四国食品包装机械有限公司を中国上海市に設立する
    1998年(平成10年)10月に本工場を竣工する
1996年
(平成8年)
  • 2月  大型(1000cc)のロールフェッド紙容器成形無菌充填機(UP-FUJI-LA60)を開発する
1997年
(平成9年)
  • 4月  ヨーロッパ駐在員事務所をドイツのデュッセルドルフに開設する
1998年
(平成10年)
  • 1月  御殿場食品工場を静岡県御殿場市駒門に新設する
  • 5月  大型(500g)ヨーグルト用紙容器を開発する
1999年
(平成11年)
  • 9月  業界に先駆けて小分けパックされた豆腐<小分けで2回分>(もめん・きぬ150g×2)を発売する
2000年
(平成12年)
  • 3月  牛乳用のガラス瓶紙栓充填機(GJ-24)を開発する
  •  <アクティブカップ>を開発し、意匠権を取得。
    同容器と専用の充填シール機をあわせて納入し、機械と包装資材によるシステム販売の先駆けとなった。
    (アクティブカップを使用した飲料は大手コンビニエンスストア全店にて販売展開された)
    (PP容器を乳飲料の容器として例外申請し、認可第一号となった)
  • 10月  淡路食品工場を兵庫県三原郡緑町に開設し、受託生産を開始する

2001年~ 「機械・包装資材・食品」三事業すべてがメーカー化に 2001年~ 「機械・包装資材・食品」三事業すべてがメーカー化に

Episode5

2006年、㈱ソロカップジャパン様(現:日本ストロー㈱ 様)から紙容器事業を買収し、子会社 四国パック㈱を設立。静岡と滋賀の2拠点でカップ容器をはじめとする紙容器の製造を開始する。
四国化工機包装資材事業においても製造機能を得ることで、三事業すべてがメーカー化することとなり、一層の相乗効果を発揮し、総合力を活かした事業展開が可能となった。

三事業の技術を結集させたモデル工場 三事業の技術を結集させたモデル工場

2007年、静岡県駿東郡小山町に富士小山食品工場を新設。当工場は、四国化工機グループの機械・エンジニアリング・食品生産技術を駆使したモデル工場として建設され、四国化工機のPR工場にもなっている。

環境に配慮した「ものづくり」 環境に配慮した「ものづくり」

2008年、大手乳酸菌飲料メーカーのはっ酵乳飲料用の樹脂製蓋材を同社と共同開発。
この樹脂製蓋材は、これまでアルミ製であった蓋材を容器と同素材とすることで環境と利便性に配慮したもの。実用化にあたっては樹脂製蓋材の開発に加えて新たな充填シール機の開発も必要となり、機械事業では超音波シール方式を採用した充填機を開発した。
四国化工機の「機械事業」と「包装資材事業」が深く関わったシステム商品の一例となった。

2011年6月1日 記念の節目となる創立50周年を迎えた

そして2011年~ 四国化工機は未来の食文化を創り続けるために更なる飛躍へ・・・ そして2011年~ 四国化工機は未来の食文化を創り続けるために更なる飛躍へ・・・

三事業がメーカー化に 2001 三事業がメーカー化に 2001

2001年
(平成13年)
  • 8月  乳飲料用の<PETカップ>を開発する
    (大手コンビニエンスストア全店にて販売展開された)
    (PET容器を乳飲料の容器として例外申請し、認可第一号となった)
2002年
(平成14年)
  • 10月  ㈱トッパンシコクエンジニアリングを凸版印刷㈱様と設立する
    (目標を達成し、2009年3月31日をもって解散)
2003年
(平成15年)
  • 1月  屋根型紙容器成形エクステンド充填機(UPN-SEC70:充填機内の自動丸洗い機能を搭載)を開発し、日本製紙㈱様と展示会を共催する
  • 4月  植田道雄名誉会長が勲四等瑞宝章を受章する
  • 9月  紙容器入り豆腐<四季とうふ>のイギリス向け輸出を開始する
  • 11月  ペットボトル無菌充填機(PJA-180)を開発する
2004年
(平成16年)
  • 12月  カップ充填機(HX-08:チェーンレス機構を搭載)を開発する
2005年
(平成17年)
  • 10月  <DDC(デコレーションドームキャップ)>を開発する
2006年
(平成18年)
  • 12月  四国パック㈱を設立する
    (㈱ソロカップジャパン様(現:日本ストロー㈱ 様)の紙カップ事業を買収し、静岡県富士市と滋賀県東近江市の2工場で紙容器の製造を開始する)
2007年
(平成19年)
  • 2月  富士小山食品工場を静岡県駿東郡小山町に新設し、飲料の受託生産を開始する
  • 4月  <エクスキャップ>を四国化工機㈱・ゴールドパック㈱様・日本製紙㈱様の3社で開発する
  •  中国向けのカップ麺充填シール機(CHN-10)を開発する
  • 5月  屋根型紙容器成形無菌充填機(UP-S120AS)を開発する
2008年
(平成20年)
  • 6月  大手乳酸菌飲料メーカーのはっ酵乳飲料用の樹脂製蓋材を同社と共同開発し、同蓋材と専用のボトル充填機(FJ-31)をあわせて納入する
    (従来のアルミ蓋から、容器と同じポリスチレン樹脂の蓋に変更)
2009年
(平成21年)
  • 4月  ペットボトル無菌充填機(KP-36)を開発する
  • 9月  最新型のロールフェッド紙容器成形無菌充填機(UP-FUJI-MA90)を日本製紙㈱様と共同開発する
2010年
(平成22年)
  • 9月  <LECOカップ>を開発する
  •  波型カットでダシ、たれなどをからみやすした絹ごし豆腐<鍋八>を販売する
    (利便性により市場から大きな評価を受ける)
2011年
(平成23年)
  • 6月  創立50周年を迎える

Concept 企業コンセプト

  • 経営理念
  • 四国化工機50年史
  • 代表メッセージ
  • 代表インタビュー
 
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